【ネタバレ注意】「The Last of Us partⅡ」クリア後の感想をネタバレ全開で語りたい

【ネタバレ注意】「The Last of Us partⅡ」クリア後の感想をネタバレ全開で語りたい

2020年6月19日、PS3版の発売から7年ぶりのナンバリングタイトルである「The Last of Us PartⅡ」(以下ラスアス2)が発売となりました。

ラストオブアスがどのようなゲームなのかというのは、以前、私が書いた初代ラスアスの記事を見ていただけると嬉しいです。(本当はプレイしていただくのが一番ですが)

傑作「The Last of Us」についてネタバレ全開で語りたい

というわけで、今回もネタバレ全開で書いていきたいと思いますので、まだプレイされていない方はブラウザバックをよろしくお願いします。ちなみに、私はこの作品を非常に楽しめましたので、好意的に書いていきたいと思います。



プロローグ

ゲームを開始すると、ジョエルが弟トミーに前作で起こったことを説明する場面から始まります。

アメリカを横断したこと、エリーの抗体でワクチンを作るため病院にいる組織、ファイアフライと合流したこと、そして、エリーの命を救うために病院をファイアフライの人間たちを殺したこと。そして前作のエンディングでのこと。

「これで、前作未プレイの方でも安心!」というわけでは全くありません。どちらかというと前作をプレイした方の記憶を呼び覚ますためのシーンと言えますね。

ラスアス2では前作でも登場したトミーのコミュニティが始まりの舞台になっています。ジョエルとエリーはそのコミュニティに身を寄せています。

エリーの家に立ち寄ったジョエルは、エリーにギターを弾きながら歌を披露し、ギターをプレゼントします。

この際にプレゼントしたギターがこのラスアス2の重要なキーアイテムとなっていくのです。

ジョエルの歌の意味

君を失ったら我を失ってしまうだろう

ここで手に入れたものすべては

自分ひとりじゃ手に入れられなかった

ろくでなしなこの俺でも

君がいればまっとうな生き方ができる

他人のマネをするまやかしの自分は

もう必要ない

だって信じているから

君とならうまくいくと

二人の未来を

信じているから

ド直球に、前作の旅を終えたジョエルの心情を表した歌詞になっています。

注目すべきは「ろくでなしなこの俺でも君がいればまっとうな生き方ができる」「他人のマネをするまやかしの自分はもう必要ない」というところでしょう。生き抜くために汚れ仕事ばかりしていたジョエルが一人の女の子を助けることによって希望を得たこと、そして、もう非情な自分には戻らないという決意を表した歌詞だと思います。前作でテスが言っていた「チャンス」をジョエルはものにしたのです。

そして、歌詞の後半部分では、エリーが一番恐れていた「孤独」という状態にはさせないという彼女への気持ちの投げかけでもありますね。

しかし、このゲームの根幹となるのは、そのような感動的な部分ではなく、「君を失ったら我を失ってしまうだろう」という部分になってしまうのですが。

とうとう「間」をマスターしてしまったゲーム

「間」というと映画やドラマで活用されるものです。セリフが無いシーンのことですね。

登場人物が沈黙したシーンでも役者の演技で、その人物が何を考えているのかがわかり、そのシーンに深みを出してくれるものです。

もちろん今までのゲームに「間」が無かったというつもりはありません。ただ、往年のRPGではセリフの「……」で表現されていたり、最近のシネマティックなゲームでもあまり多用されるものではありません。もっと言えば、最近の映画、ドラマでも活用されるのは一部でしょう。

何故かというと、「間」を多用する作品というのは往々にして冗長な作品になりやすいからです。現代はスピード感が必要とされる時代、「間」をとるのは危険なのです。

しかし、今作では落ち着いた場面では贅沢に「間」をとる演出がとられています。

これは、作品に緩急をつけるという意味合いもあるのかもしれませんが、一番の狙いはリアリティの増幅に他なりません。

ジョエルがエリーにギターをプレゼントするシーンでもこの演出は使われています。絶妙な「間」をとることによって、ジョエルとエリーの間にあるぎこちない感情を表現しています。

ゲームでキャラクターが自分の感情をペラペラ喋る時代はもう古いのかもしれません。

舞台は四年後へ

四年経ったエリーはトミーのコミュニティに順応し、親しい仲間もできています。

エリーたちの仕事は街の外の偵察と感染者の排除。雪深い山道を馬で駆け出していきます。

 

前作の記事でも書きましたが今作でも日本語吹替版でのプレイをおすすめします。

今回特に素晴らしいのはエリー役の藩めぐみさんの演技。四年経ちおそらく十八歳ぐらいになったエリーのどこか幼さの残っていて、少し生意気な感じが完璧に表現されています。

謎のグループと、今作の鍵となる女性「アビー」の登場

さて、恐らくは賛否両論になっているであろう女性「アビー」への操作キャラクターの変更です。

最初、このキャラクターを操作することになって、私は戸惑いました。

「今作はエリーの物語ではなかったのだろうか? パッケージにもエリーの顔がでかでかとうつっているのに」と。

アビーについては色々語りたいところではありますが、それはまた後でですね。

エリーとディーナと同性愛

操作はエリーに戻り、エリーとディーナで偵察する任務をしていきます。

偵察しながら二人は何気ない会話を楽しみます。こういう会話を楽しめるプレイヤーかということもこのラスアスシリーズを楽しめるかどうかの要素ではありますね。

感染者を倒しながら先に進んでいくと、もう亡くなっているコミュニティのメンバーの秘密基地に着きます。そこで、大麻を吸いながら二人は愛し合います。

ここで気になるのはこの世界での同性愛に対する価値観です。

私は同性愛について何か持論を持っているわけでもないので、詳しいことはわかりません。ただ、確かなのはこの世界、少なくともジョエルたちのコミュニティではLGBTに非常に寛容であるということです。

同性愛の要素は前作から含まれていました。DLCでのエリーとその友人のキスだったり、道中助けてくれるビルとそのパートナーの話だったりです。

では、この作品は何故ここまでLGBTを前面に出してくるのでしょうか?

私の考えでは、この世界では「男女平等」、いや、「老若男女平等」が進んでいると言った方がいいでしょう。

助け合わなければ生きていけない世界で必要な人間は有能な人間のみ。無能であれば感染者や他のグループに容赦なく殺されてしまう世界なのです。そんなとき、側に居てほしい、自らの命をあずける、そのような親友を超えた信頼関係を築くのに男女という縛りは必要あるのでしょうか?

このような同性愛描写の中でもこの世界の過酷さがうかがえると私は思います。

アビーとジョエルの邂逅、そして別れ

操作キャラクターがアビーに移ります。

感染者の大群に襲われているアビーをジョエルとトミーが救います。

三人は協力して窮地を脱し、アビーたちのグループに合流しますが……

そこで、なんとアビーがジョエルの膝をショットガンで撃ち抜きます。アビーはジョエルに恨みを持っていたのです。アビーは膝の銃創を止血し、ゴルフクラブでジョエルを嬲ります。

エリーはその現場に到着するのですが、組み伏されてしまい、目の前でアビーにジョエルが殺されてしまいます。

この場面の演出は見事で、心臓の音のような、血管が脈動する音が流れ続けます。

 

ここで二つの疑問が。「ジョエルは何故こんなにあっけなくやられたのか」ということと「何故ジョエルを殺すアビーを操作させたのか」です。この二つはプレイヤーにとってストレスにしかならないのではないかと私は思ったのです。アビーの操作についてはまた後で解説するとして、ジョエルがあっけなくやられてしまったのはわかる気がします。

上記したジョエルが歌った歌の歌詞。「他人のマネをするまやかしの自分はもう必要ない」というのが答えではないでしょうか。

エリーと会う前のジョエルであれば、グループに会った瞬間にアビーを人質に取りなんとか窮地を脱していたかもしれません。しかし、もう、残忍な自分を演じる必要はジョエルには無かった。エリーさえいればそれでよかったのです。

復讐のためにトミーはシアトルへ向かい、エリーとディーナもその後を追います。

 

シアトルでの三日間

エリーとディーナはアビーの所属するコミュニティWLFを探しにシアトルを散策します。

道中、意外と簡単に復讐する相手を見つけて、簡単に殺したり、すでに死んでいたりします。こういう淡泊な感じはラスアスっぽくていいですね。

エリーがアビーたちを追うこの三日間は淡々と物語が進んでいきます。「復讐もの」を期待していた方は肩透かしを食らうかもしれません。

この三日間で唯一心が温まるところはエリーが偶然発見したギターでジョエルが歌った曲を弾く場面でしょうか。

ギターによって紡がれるエリーとジョエルの絆

シアトル一日目、拠点で偶然発見したギターでエリーはジョエルの曲を弾きます。

すると、舞台は過去に飛び、エリーとジョエルの思い出を追体験していくことになります。そこで思い出されるのは平和な日々。そのあと、しばしば前作以降のエリーとジョエルがどのようなコミュニケーションをしてきたのかがフラッシュバックします。

今作においてギターとはなにか? もともと前作の二人の会話でジョエルがエリーにギターを教えてあげるといったのが始まりで、今作のOPもギターのカットから始まります。

今作の最初のPVでもエリーがギターを弾き、そこにジョエルが現れるというものでした。

今作におけるギターとはエリーと生前のジョエルを繋ぐ絆なのだと思います。

ギターを弾くことによってエリーはジョエルを近くに感じることができるのではないでしょうか。しかし、それは「復讐」にしか結びつかないもの。エリーはジョエルとの絆を思い出すことによって復讐者という修羅の道を進んでいくことになります。

過去の思い出と対をなすシアトルでの淡泊な日々。復讐とはどういうものなのかをプレイヤーに感じさせます。

敵グループの一人「ノラ」への拷問とエリーの反応

二日目にエリーは復讐する対象の一人「ノラ」を発見し拷問してアビーの居場所を吐かせます。拠点に戻ったエリーの手は震え、精神的にも疲れ果てています。

ここで一つ疑問が。今までエリーは多くの人間を殺してきているのに、何故ここまで動揺するのか? 三日目に復讐対象二人を殺したときもエリーはひどく動揺します。一人が妊婦だったからでしょうか? 恐らくそれもあると思います。恋人のディーナも妊娠しており、二人を重ねてしまったのかもしれません。

しかし、よくよく考えてみると、エリーは能動的な殺人はしてきていないことを思い出しました。

「襲ってきたから仕方なく」「生き残るために」が今までの殺人の理由です。前作の後にエリーが人を殺すことがあったとはあまり考えられません。

では「復讐」は?

復讐をすることは必要なことなのか?

ノラは言います。

「叫び声にうなされる?」「毎晩思い出す」と。

ノラの仲間を殺してきたエリーに対する言葉なのでしょう。そしてそれらがノラ自身に起きていると。

リベンジとサバイバル、結果は同じでも全く違うものなのかもしれません。

アビーがジョエルを殺した真相と、操作するキャラクターの変更

シアトル三日目で二人の復讐対象を殺して動揺したエリーは、アビーを殺すことを諦め、仲間と一緒に基地に帰ることを決意します。

しかし、そこにアビーが登場し仲間のジェシーを射殺、トミーを人質にし、エリーに武器を捨てるように脅します。

そこで舞台は突然、アビーの過去に飛びます。

過去のアビーを操作していると、アビーの父親とシマウマを助けることになります。

助けたシマウマが向かった場所はファイアフライの病院が見える池。「先生」と呼ばれるアビーの父。

アビーの父はエリーのワクチンを作るための医者であり、ジョエルに殺された、もっと言えばプレイヤーに殺された人間だったのです。

ここでの印象的なシーンは前作でジョエルが殺したマーリーンの登場シーンでしょう。

ワクチンを作るためにはエリーを殺さなければならないというアビーの父に「これがアビーだったら?」と詰め寄るシーン、手術をすることを「知る権利がある」とジョエルに報告するという彼女のシーンは前作をプレイした人間にとってきついものがあります。

ここでアビーの視点に変わります。

ジョエルを殺す場面がアビー視点で映され、エリー視点では聞こえなかったグループの会話が聞けます。エリーを殺そうとしていたメンバーもいましたがアビーが止めさせます。

操作キャラがアビーに変わり、アビー視点のシアトル一日目が始まります。

WLFの拠点から話が始まりますが、そこには多くの老若男女が暮らしており、協力して日々を生き抜いているのです。

アビーを操作することによって、私は一本のゲームを思い出しました。「コールオブデューティー;ブラックオプス2」です。

ブラックオプス2の失敗「復讐相手への情をプレイヤーにかけさせるな!」

ブラックオプス2での悪役メネンデスは妹を故意ではないものの前作主人公たちに殺され、メネンデスが前作主人公たちを残忍に殺害する場面があります。その復讐のためにその息子がメネンデスを追い詰めていくのです。妹が死ぬ前にメネンデスを操作できるのですが、私はこの手法が嫌いでした。

ゲームのみならず映画、ドラマ、小説で「復讐もの」というジャンルがありますが、そのジャンルで一番危険な演出は「復讐相手も人間であり、善良な心をどこかで持っている存在なのだ」というものです。

復讐相手はどこまでも悪辣でなければならないのです。そうでなければ映画における観客、ゲームにおけるプレイヤーはカタルシスを得ることはできません。復讐相手に情があろうがそれを作品内で表現するのは至難の業です。当然ながら観客やプレイヤーは主人公側に肩入れするのですから。

ですので、憎い敵に情をかける行為というものは「復讐もの」にとっての不純物以外の何物でもないと思っていました。

前作の焼きまわし? そんな生易しいものではない!

敵が実はただの無法者ではなく、恋人、家族、子供を持つコミュニティの人間だった、というのは、前作の「デビッド」のコミュニティに近いものがあります。しかし、デビッドは人間を食料にしていたり、凶悪な一面を見せることで「悪役」としてのキャラクターになっています。敵以外のコミュニティメンバーが登場しないのもデビッドが悪役であるということに拍車をかけていると思います。

今作のアビーが所属する「WLF」はどうでしょう?

明確な指揮系統が存在し、非戦闘員や子供が生活しているコミュニティで敵対関係であるカルト集団「スカー」と日々戦っています。確実に言えることは「エリーたちのコミュニティより、成熟したコミュニティ」であるということです。それらの人間をプレイヤーはエリーとして殺してきたわけですから、前作以上の衝撃がありますね。

ちなみに、後半で書こうと思っていたゲームシステムのことなのですが、今作では敵を倒すと近くにいる敵の仲間が死んだ人間(犬も含めて)の名前を叫んだり、怒りをあらわにします。非常に意地の悪い演出ですが、今作のテーマに合った本当に素晴らしい演出だと思います。

三つの敵対した者たち

アビーは「スカー」に捕まり殺されそうになっているところを「スカー」の裏切り者であるレブに助けられます。重症を負ったレブの姉を助けることによって、アビーとレブの間には信頼関係が生まれます。

レブは母親のことが気になり「スカー」の本拠地である島に単身向かってしまいます。追いかけるアビーでしたが、その頃、「WLF」は「スカー」への総攻撃を開始しており、激しい戦火の中二人は犠牲を伴いながらも島を脱出します。

シアトルに戻ったアビーは仲間の死体を発見し、エリーの拠点を見つけ、トミーを人質にとるのです。ここでエリーの操作パートの最後と繋がります。

ここまでプレイして感じたことは、「虚しさ」でした。

エリーを操作していたときは、「WLF」とは極悪非道な輩であると思い込み、アビーを操作しているときは「スカー」とは異常者の集団であると思い込む。しかし、それらは全て思い込みに過ぎず、皆、生き抜くために必死なだけであったのです、そして彼らを繋ぐものは「報復」だけだったというのはあまりにも悲しいものです。

エリーとの対決後のアビーの不可解な行動

エリーと対決することになったアビーはエリーを倒し、ディーナを殺そうとします。しかし、レブに呼ばれたアビーはエリーとディーナを見逃し、去っていきます。

何故でしょう? エリーは大切な仲間を殺した張本人なのに。

私は、二つの理由が考えられると思います。

一つ目は、ジョエルを殺害し、復讐を果たしたところで気分が晴れることが無かったということです。アビーがジョエルを殺害し、シアトルに戻った後、仲間たちの関係はあまり良くなかったという描写があります。彼らはコミュニティを守る兵士ではありましたが、殺し屋ではありません。仇とはいえ一人の人間を嬲り殺しにすることを許容できるほど異常ではないのです。

ジョエルを殺した場面からアビーの目が覚める場面へシフトするところがあります。ノラが言っていたように、アビーはジョエルを殺して以降、ずっとその時のことを夢に見ているのかもしれません。

二つ目はレブと通ってきたそこまでの過程です。レブと「スカー」の島を脱出しようとしているとき、彼らは多くの地獄を目撃します。その過程でレブの姉は死に、信頼していたWLFの指揮官も死亡、島は「WLF」と「スカー」が入り乱れる戦争状態へ突入します。それを見た二人はどう思ったでしょうか?

誰かを殺したところで、待っているのは破滅のみだとおもったのではないでしょうか。

本当のところはわかりませんが、アビーは復讐をやめ、レブとともに安息の地へ向かうことを決めたのです。過去を見ることをやめ、未来を見ることを始めたのです。

アビーの決断によって、手に入った平和な日々、しかし……

シアトルを後にしたディーナは無事出産し、コミュニティから外れた一軒家でエリーと二人で暮らし始めます。しかし、エリーはジョエルの死に様がフラッシュバックし酷く取り乱します。

そんな時に、トミーがアビーの居場所がわかったとエリーに伝えにきます。最初、エリーは断りますが、夜中に旅に出る準備を行い、ディーナの静止を振り切り、アビーのもとへ向かいます。

ここで気になるのはトミーの態度です。行かないと言うエリーを高圧的に責めます。もともとエリーには復讐の旅をさせたくないと考えていたはずのトミーは何故変わってしまったのでしょうか?

トミーはアビーに撃たれ、顔に傷ができ、足も引きずるようになっています。それが原因? そうかもしれませんが、私はトミーの妻、マリアと距離を置くようになったというのも原因ではないかと思います。

トミーは復讐の旅をすることによって足の自由、妻との関係にもひびが入っていしまいました。それらのことをアビーに全ておっ被せてしまおうと思っているのではないかと私は思います。それはエリーも同じで、ディーナに何故行ってしまうのか聴かれたエリーは「眠れないし」と答えます。

二人はもう取り戻せないものを求めてアビーを追いかけているのです。

エリーとアビーの闘い

アビーが別のコミュニティに捕まっていることを知ったエリーはその拠点へ侵入し、とうとうアビーを発見します。アビーはボートでレブと一緒に逃げようとしますが、エリーがそれを許すはずもなく、レブを人質にとることによって二人の間の因縁に決着をつけるよう迫ります。

アビーを追う道中で負傷し、血まみれになったエリーと、監禁中に髪を切られ、筋肉質だった身体もやせ衰えたアビーが海岸で闘います。この場面はただただ痛々しいものでした。

水面にアビーの顔を突っ込み、完全にアビーを追い詰めたエリーでしたが、そこでジョエルの姿がフラッシュバックします。その姿は殺される直前のものではなく、ゆったりと玄関先でギターを弾くものでした。

エリーはアビーを開放します。

アビーはレブと一緒に、もやが広がる海へ消えていき、エリーがただ一人残されます。希望に向かって走り出すアビーとレブ、そして海岸に座り込むエリー。このシーンの構図は本当に素晴らしいですね。

ジョエルの言葉

ディーナたちと暮らしていた家に戻るとそこには誰もいなくなっており、エリーの私物だけが残されています。ギターを見つけたエリーはジョエルが歌ってくれた歌を弾こうとしますが、アビーとの戦闘時に指を食いちぎられており、上手く弾けません。

エリーはジョエルとの最後の会話を思い出します。

エリーは自分が免疫を持っていたのにジョエルがそれを台無しにしたと責めます。しかし、ジョエルは何度同じ状況になっても同じ選択をするとエリーに断言します。

そこでエリーは

わかってる

多分…一生そのことは許せないと思う

でも…許したいとは思ってる

と言います。

ジョエルは「それでいい」と答えます。

エリーは「わかった」と答え、二人は別れます。

エピローグ

エリーは誰もいなくなった無人の家にギターを置き出ていきます。ギターがクローズアップされ、遠くに歩いていくエリーが見えたところでエンディングとなります。

今回も長いな……

ここまで、読んでいただいた方、本当にありがとうございます。話の要点だけつまんで自分の思ったことなんかを書きたかったのですが、今作は要点多すぎですね。

ではでは、まとめていきたいと思います。

ゲームを作る時代からゲームを「利用する」時代へ

ブラックオプス2の話のところでも書きましたが、復讐相手に情をかける演出を用いる作品は基本的に駄作です(個人的見解です)。ゲームであれば尚更ですね。何故なら、ゲームというものはなにかしら目的がありそれを攻略することによってその満足感を得るというのが、今までのゲームの歴史だからです。もしその目的、「復讐」というものが揺らいでしまったら攻略してゲームクリアとなってもプレイヤーはすっきりしません。

しかし、今作では正直なところすっきり物事が万事収まることはどの場面であってもありません。これはゲームとしてはいかがなものでしょうか?

かなり以前からですが、「映画的」な作品というものがグラフィックが美麗になるにつれて増えてきています。MGS、HALO…まあ上げたら本当にキリが無いですよね。

ただ、やはりゲームはゲームです。「映画的要素を組み込んだゲーム」というのがほとんどでした。「映画的要素を組み込んだゲーム」というのは重厚なストーリー、美麗なグラフィックなどを駆使してまるで映画の中をプレイしている気分にさせるゲームのことです。

では、今作、「The Last of Us PartⅡ」はどうなのか?

私の感想としましては、「ゲームという環境を利用した作品」であると思います。

何故そう思ったかと言いますと、エリーとアビーというキャラクターの存在です。今作ではエリーの操作時間とアビーの操作時間はほぼほぼ同じになっています。プレイヤーは困惑しますよね。「何故アビーの操作時間がこんなに長いのか」「エリーとアビーのどちらに肩入れすればいいのかわからない」「アビーの操作パート減らせ」などなど、色々意見は出てくると思います。

ただ、こういう意見が出る作品ってゲームじゃないとできないのではないかと私は思います。

小説だと近いことができそうですがやはり人物の人柄だったり性別、人種、出身などでどちらかに完全に肩入れしてしまう気がします。映画でも同じです。しかし、ゲームであれば、ほぼ強制的にプレイヤーは操作キャラクターに感情移入せざるを得ません。大事なコミュニティがあり、復讐する目的がある二人のどちらに肩入れすれば良いのか。プレイヤーは二人の間を不安定に漂うことしかできなくなってしまいます。

それが開発者の目的であるのだろうと私は思います。ゲームだから、ゲームにしかできないことをやってやろうという気概が感じられますね。

「復讐」と「喪失」の物語

いい加減に、物語のまとめをしましょう。(長すぎてすみません……、まだ書きたいことあるのだけれど……)

「復讐は何も生まない」という言葉は復讐ものの作品では頻繁に出てきます。しかし、結局のところ主人公は復讐を果たしそれなりのハッピーエンドで終わる作品がほとんどです。何故なら復讐を果たさない復讐ものほどモヤモヤするものは無いからです。

今作ではエリーとアビーという二人の復讐者が登場します。二人は復讐を行うことで大切なものを無くしていきます。

アビーは、復讐することで、まず、仲間たちの信頼関係を壊すことになり、大切な仲間をエリーたちに殺されます。

エリーの復讐のために失ったものは多いです。友人のジェシーが死に、トミーは人が変わったようになり、ディーナは愛想を尽かせてエリーから離れます。

ジョエルを近くに感じることができるギターも無くなった指で弾いたところで不協和音を奏でるのみになっています。

しかし、二人は完全に絶望に落ちたわけではありません。それは二人とも復讐の連鎖を止めたからに他なりません。アビーはレブのために復讐をやめ、エリーは思い出の中のジョエルの言葉に従って復讐をやめました。

アビーはレブとともにファイアフライの拠点へと旅立ちました。おそらく希望を胸に。

では、エリーは?

エリーはジョエルからもらったギターを家に置きそのまま去っていきます。これはジョエルを過去の人間とすることで復讐心がすべて無くなったということを意味しているのではないでしょうか。

ギター越しに去っていくエリーはどこへ向かっているのでしょう? それはわかりません。

前作のジョエルの言葉が思い出されます。

「俺はな生きるためにずっと戦ってきた。お前も何があっても戦う理由を見つけなくちゃ駄目なんだ」

是非ともPARTⅢをプレイしてみたいものですね。

それではまた!